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無駄話オバタリアン考察

2002年3月23日

「オバタリアン」とはご存知のように、オバサンとバタリアン(映画)を掛け合わせた言葉です。
まるでバタリアンの如きタフネスなおばさんという解釈でよいのでしょう。
最終的にはバタリアンよりも認知されてしまったくらいのこの言葉、どうもテレビ・マスコミに仕掛けられたようでボクは使いたくありませんでした。(「うまい!!」とか思ってそうで・・・)
今やその「オバタリアン」という言葉もようやく風化していこうとしているのですが、それに代わる適当な言葉も見当たらないので今回のところはその「オバタリアン」を使うことにします。

さて、街をちょっと歩けば、あちらこちらにそのオバタリアンを確認することができるわけですが、そもそも何故そんなにオバタリアンはいるのでしょう。

答えは年を取ったからとかいう単純な話とは別に要因あります。
これはズバリ「子供」です。

子供というのは徹底的にわがままです。
家の中だろうが、公共の場であろうが欲するままに行動してしまいます。
これに対して大人たちは教育的に容認できる範囲最大限に彼らの希望を叶えようと努力するのです。
例えば、子供がどっかのお店は張ってあったウルトラマンのポスターがひどくお気に召したなんて時、なんとなく店員に貰えないか訊いてみちゃったり、何かを買うとかの条件で貰える風船やおもちゃに対して「子供2人だから2個くれない?」などと要求してみたり、もし自分の為だけだったらガマンしてしまうようなささやかな図々しさを堂々と披露できたりするのです。実際にボクあたりでさえ、子供を連れている時は保護者としての力、つまりは「子供がいるから」とか「子供のために」のような免罪符を感じることかが多く、我を通すことがある意味において非常に楽であったりします。
そんなことばかりではないにせよ、これが実の母親だったら、ファミレスなんかで子供イス、子供スプーン、取り皿、お手ふきなんかを貰う為には大声を張り上げることも日常茶飯事です。
子供を育てたり守ったりする為には、これまで自分を形成していたものとは全く別の、眠っていた人格を呼び覚ますことが必要になってくるのです。
(この眠っていた人格、つまり通常の自分よりも悪く言えば「図々しい自分」をAとし、その境地に到達した人たちをA群とします)

しかし、いずれ子供たちは大人の手を離れます。
すると、親が張り切って子供の為にしてやることは少なくなってくるのです。が、一旦体に染みついたAは簡単には抜けません。
なにしろ以前までの自分よりも社会の中では居心地よく、自由な精神でいられるのですから。
これはもうすでにAの状態こそが本当の自分になってきているのです。

(ちなみに、ここから独身時代の時の自分に戻れるような人は、子育て時代にもAという段階まで到達しなかった人で、これはある意味において大変不自由に過ごしてきたので子育てに苦労を感じています。その分過剰のストレスを抱える人やヒステリックになったりする人たちです。当人たちが思っている以上に負のパワーが強い傾向があり、事件を起こしたりする人も大別するとここに属します。分類上B群です)

そして一定期間Aとして過ごすと年齢に関係なくオバタリアンとして孵化します。

孵化を促進する物理的側面も指摘しておきますと。
A群の人たちは子育てに多くの犠牲を惜しまないので、特別なことがない限り化粧することもありません。そんなことをする時間はないのです。したがって化粧の腕は確実に低下します。子育てが一段落し、自分のことに気が回るようになった時いざ化粧をしてみると、うまく出来ません。違う世代が見ると流行的にも遅れていたりします。
そして体型的問題としても、年齢によってかさむ体重をコントロールできるほど精神的余裕も私的時間もありません。ただただ肥えています。
子育て時代に自転車のハンドル部に子供を乗せるイスを付けていた場合、股を広げての漕ぎ運動を余儀なくされるので、ガニ股化はもちろんのこと、羞恥心すらも薄らいでいってしまいます。

また、元々A群の人たちは前向きに子育てをしてきたのでよく笑います。
その素質はオバタリアンになりさらに開花し、下品にケタケタ笑うようになってしまうのです。

こうしてオバタリアンは出来上がります。
つまりは、一途な子育ての末になるものであって、あの状態だけをつかまえて非難するのは不当なことなのです。
子供は、母親がオバタリアンになったら「ありがとう」と感謝するべきでしょう。
(しかし、そう言いたくなくなるのがオバタリアンであります。そのことがこの問題をより複雑にしているのです)

念のため補足しますと、B群の人たちはオバタリアンというのを必要以上に毛嫌いしているので、意識してそうならないようにします。しかしそれでも年は取りますので、最終的には気味の悪い「色オバサン」になる傾向がありますので決して憧れるようなものでない場合が多いです。

というわけで、レッツ! オバタリアン!!

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