まずはリンク先をチェックしてください。
http://www.ZAKZAK.co.jp/top/top1210_3_08.html
この騒ぎ、密かに話題になってるらしいのですが、ボクはこの対象者の「藤本綾」って女の子自体知りませんでした。よってそれが本物であるとかの判別もできません。(名前くらいは聞いたことあるような・・・疎いですね)
そんなことよりもボクが気になって仕方ないのは、そういう「行為」の表現ってこんなに目に付く表舞台に思いっきり掲載されていてよいものか、ということです。
しかも上記リンク先の本文には、「チオ」までは書かれていません。これは世の中の人がその言葉を十分認識していて、それの略称であることも承知しているということが前提で発信されています。いや、もちろん、毛の生え揃うような年頃の人間がその言葉を認識してないわけないのもわかっています。別にロマンチズムでこういうことを言ってるのではなく、そういうことすら「知ってるはずだから表現しちゃえ」となってくると、世の中の「笑い」の防波堤すら決壊されかねないということを危惧しているのです。
笑術というもののうち「残酷」と「エロス」は、効果も高い代わりに「引かれる」可能性のある技術です。ラーメンの塩加減の如く、薄くても濃くてもダメです。その上、相手の顔ぶれや場の空気というものが作用してしまう性質のものなので、昨日ウケたから今日もウケるというものではありません。
特にエロネタに関して、重要なのはその表現を使うまでの必要性とプロセスにあるのであって、その種のエロ用語だけの力をもって笑わすというのは、腕が未熟か、中学生か、ひどく酔っぱらっている時くらいです。そういう手順の最低限のたしなみがあって「下ネタ」は効果を発揮するのです。受け手のもつ性的モラルを察知して、その近辺をほどほどにつつくのですね。
で、問題視しているのは、そういう技術をもって、周到に下ネタを展開していった時、受け手が持つ道徳ラインが本来あるべきラインからズレてきていたとしたらどうでしょう。これまで秘め事的ムードであったからこそ、しかるべき時にささやかな笑いに転化させることができたのに、普段から露骨な表現でそれを提示される生活になったなら「慣れ」が起こって「日常」になってしまいます。白昼マクドナルドで「こないださぁ、Fしてたらさぁ」となりかねないのです。そうなってしまった者に「下ネタ」を用いて挑んだ場合、より刺激的な言語を使わざるを得ないので、よりグロテスクな領域に足を踏み入れるということになってしまいます。それは有能な笑術家にとっては負担となるでしょう。「下ネタ冬の時代」到来です。
つまり何が言いたいかというと、心温まる下ネタというものを保存する意味で、アダルトサイトでもないところがむやみに生々しい表現を使わんで欲しいということです。
いや、待てよ。それはボクの趣味の問題であって、もしかしたら過激下ネタ推進派にしてみれば「下ネタバリアフリー時代」か!